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社長ブログ

カティサーク起業前ストーリー 上海編 11 自転車

 
category:社長ブログ

こんにちは、WEBメディア エヴァンジェリストの押切孝雄です。

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Photo by Boris van Hoytema CC

本日は、起業前ストーリー上海編の11回目です。

1996年当時、上海の路上で、自転車の空気を詰めるポンプを持った人を
散見できました。

1回いくらで空気ポンプを貸すという商売なのですが、
1度自転車に空気を詰めたら、そんなに空気はもれないものですので、
繁盛しない商売だと思いました。

しかしよく見ていると、自転車に乗った人が、
その空気ポンプ屋のところで止まって、
空気を詰めているシーンをときどき見ました。

不思議に思ったのですが、上海で自転車を購入して納得がいきました。
当時の中国製の自転車は、すぐに空気が漏れたんです(^_^;

1週間もすると、空気圧が下がってくるので、
自転車に空気を詰めなくてはならなくなるのですね。

おかげで私も、ときどき路上の空気ポンプ屋にお世話になりました。

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カティサーク起業前ストーリー 上海編 10 炒面

 
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こんにちは、WEBメディア エヴァンジェリストの押切孝雄です。

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Photo By Gary Soup CC

本日は、起業前ストーリー上海編の10回目です。

食事は、大学の学食がありました。
栄養をとるには良いと思います。
安いけれど、美味しくありませんでした。

お米は、白ではなく黄色みがかっていて、小石が入っていることもありました。
学食には早々に見切りをつけました。

昼食で愛したのは、大学の門をでてすぐのところにある小さな食堂。
「炒面(チャオミェン)」という、日本の焼きそばのような料理がありますが、
私はこのメニューをよく注文しました。

面が日本の焼きそばよりも太く、中太面です。
緑の野菜も適度に入っていて歯ごたえがよい一品です。

食堂の厨房で炒めてもらって、テイクアウトして5元くらいだったと思います。
1元が13円くらいですので、一食65円です。

あまり日本では見ない食べ物ですが、なかなか美味しいですので
上海に行くことがある方はぜひ食べてみてください。

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カフェに見る、禁煙喫煙席分離の動き

 
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こんにちは、WEBメディア エヴァンジェリストの押切孝雄です。

私はカフェへパソコンを持っていき、原稿などの文章を書くことが多いので、
ほぼ毎日のようにあちこちのカフェに出没しています。

ここ数年で喫煙席にまつわる動きが目に見えて変化しているように感じます。

多くのカフェで徐々に喫煙席が縮小して、禁煙席に置き換わっている傾向がみられます。

ただ、喫煙席と禁煙席が分かれていても、同じフロアだと禁煙席の方に
たばこの煙が押し寄せてくることがあります。

すると、席は分かれているのですが、結局は副流煙を吸うことになります。
健康を害すためにカフェにやってくるようなものでした。

それがここ数年で、喫煙席を部屋のように分ける動きがあります。

先進的だったのはタリーズだったと記憶しています。
日本に参入した当初から、喫煙席が別の部屋に明確に分かれていました。

すると、禁煙席にいて、たばこの煙を吸うことがなくなりました。
安心して、タリーズには行くことができました。

その後、エクセルシオールも、マクドナルドも、
新しくできた店舗や、内装を改装した店舗に行くと、
禁煙と喫煙が同じフロアであっても、部屋として仕切っているため、
喫煙席のたぼこの煙が禁煙席にやってくることがなくなりつつあります。

たばこを吸わない者としては、非常にうれしい傾向です。

夜の飲み屋でも、禁煙席の動きが広がるとありがたいのですが、
ただ、こちらはもう少し時間がかかりそうですね。

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カティサーク起業前ストーリー 上海編9 停電を愉しむ

 
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こんにちは、WEBメディア エヴァンジェリストの押切孝雄です。

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Photo by http2007 CC

本日はカティサーク起業前ストーリーの上海編です。

1996年の上海では、ときどき停電になりました。

当時はパソコンがなかったので、電源が落ちても問題ないのですが、
夜に停電になると、部屋が暗くなりますので、
懐中電灯をもって、ルームメイトの李とともに外に出ます。

学生が宿舎から避難訓練のようにぞろぞろと外に出てきます。
そこで、停電が解消するまで待つことになります。

停電でいらだつことはなく生活の一部として、むしろ愉しみました。

真っ暗になった校舎の壁に、学生の誰かが懐中電灯を照らします。
そして、懐中電灯と校舎の壁の間に人が入り、影絵をつくります。

影は校舎に投影され、巨大な人の影絵となります。

演劇大学ということも関係しているしているかもしれませんが、
そのうちに、ポーズをとったり踊ったりして、学生同志で影絵を愉しみあいます。

日本で停電が起きたら、クレームの嵐となるかもしれません。

当時の上海では、停電が起こることは、想定内のことのようで、
みんな平然としていて、そんな不便な生活の中にも楽しみを見いだしていた
ということに、価値観の違いを見ました。

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ディズニーシーの世界観

 
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こんにちは、WEBメディア エヴァンジェリストの押切孝雄です。

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( ↑ ディズニーシーにて )

本日は休日的話題です。
先日、家族と親戚6名でディズニーシーに行ってきました。

ディズニーランドの方には何度か行ったことがありますが、
ディズニーシーは私は初めてでした。

ディズニーシーは2001年に開園したそうですので、
遅ればせながら、10年目にしてやっと縁ができました。

ディズニーシーは、ゾーン毎に様々な世界観が展開されていました。

開拓時代のアメリカ、ヴェネツィアのゴンドラと橋、
中世フィレンツェのような橋、火山、アラビア世界、
南アメリカの遺跡を模した世界などです。

地域的な広がりと時間軸の今昔が融合しているのですね。
その融合は心地よく、ここにしかない世界を創り出しています。

そしてそれらの完成度は高く、ディズニーシーという
箱庭の中でうまく調和していました。

子供が愉しめる世界だけでなく、
完全に大人も愉しめる世界です。

そして、1度だけではなく、何度も来てみたいと思わせる仕掛けが随所にあります。

アトラクションを1時間以上待つことは普通のことですので、
1日では数個しか体験できません。
よって、次回も来たいと思います。

そして、1度体験したアトラクションやパレードでも、
非常に良くつくり込まれていますので、また経験したいと思うのですね。

そういう意味で、ディズニーの魔法にかけられて、
楽しみながら勉強になった1日でした。

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カティサーク起業前ストーリー 上海編8 生活費

 
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こんにちは、WEBメディア エヴァンジェリストの押切孝雄です。

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Photo by Hong Kong dear Edward CC

本日はカティサーク起業前ストーリーの上海編です。

上海での生活費は、月に4万円でした。
これは上海の大学の学費をはじめ、寮費、食費、交通費など全てを含んだ金額です。

月に4万円という額が1996年の上海でどのくらいの価値があったかですが、
当時の上海のサラリーマンの平均月収が2万円に届いていないようです。

当時上海で昼食1食が100円しませんでした。
だいたい日本の10分の1くらいの物価という感覚です。

1996年の4万円をざっくり日本円に換算すると、
少なくとも50万円くらいの価値になります。

ただ、浪費はせず、身の丈にあった生活をこころがけました。

そして、ときどき「良いものを体験する」ことを意図的に行ないました。

たとえば、食です。
日本では、美味しい上海料理をいただくのは、学生の自分には難しくても、
上海なら、そう難しいことではありませんでした。

ルームメイトの李の彼女には、中国語をテープに吹き込んでくれたお礼に、
上海でも美味しいことで有名なレストランでご馳走しました。

移動は、ほぼタクシーか自転車でしたが、
それはお金があったからというよりは、当時のバスや地下鉄が不便だったからです。

また、留学の後半に中国国内をめぐる旅に出ることになりますが、
そのときにお金をとっておきました。

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カティサーク起業前ストーリー 上海編 7 天気と履修登録

 
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こんにちは、WEBメディア エヴァンジェリストの押切孝雄です。

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Photo by Julie Lindsay cc

本日はカティサーク起業前ストーリーの上海編です。

私が留学をはじめた当初、3月の上海は、
天気がどんよりとしていました。

あまり晴れの日がなく、雲が垂れ込める日が続いていたのですが、
4月に入ると、晴れの日が多くなり、天気とともに気温も上がってきて、
過ごしやすい気候となりました。

4月、1つ気がかりなことがありました。
東京の大学の履修登録です。

私は日本の大学を休学せずに上海に来ましたので、
物理的に自分で日本の大学の履修登録が行なえません。

そこで上海に来る前に、同じ学科の友人Wに履修登録の代行をおねがいしていました。

今のようにインターネットが活発ではない時代。
メールといえば、電子メールではなく、手紙だった時代です。

今なら、履修登録ができたことをメールで確認が簡単にできるでしょう。

また1996年当時は、日本でもまだ携帯電話が満足に普及しておらず、
固定電話が主流でした。

そこで、タイムリーに連絡がとれずちょっと心配だったのですが、
国際電話か何かで友人Wと連絡がとれ、無事に履修登録ができたことを確認できました。

これで、東京の大学の方もクリアして、
心理的にも上海を存分に堪能する状況が整いました。

上海の大学に半年間留学しましたが、
はじめの4カ月は中国語を学び、
最後の2カ月弱で中国各地を旅しながら中国の当時の様子をつぶさにみてきました。

とにかく自分の目で見て行動するという「体験」が後に役立ってくることになりますが、
次回は、留学のお金の出所などについて書いてみたいと思います。

私は全くの私費留学でした。

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6月17日にホームページに関する相談を受け付けます【無料】

 
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こんにちは、WEBメディア エヴァンジェリストの押切孝雄です。

私は、さいたま市産業創造財団でアドバイザーをしています。
それで年に数回だけとなりますが、企業ホームページの相談を受け付けています。

今年度は、6月17日と来年2月、3月の3回を予定しています。
1社あたり50分くらいの時間をとって、私が相談を受け付けます。

費用は、さいたま市産業創造財団が負担しますので、
相談者は無料で受けられます。

ただし、1日に限定6社となります。
すでに5社予約が入っており、あと1社で締め切るようです。

また、さいたまにゆかりのある企業など制限があるかもしれませんが、
詳しくは、さいたま市産業創造財団へお問い合わせください。

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カティサーク起業前ストーリー 上海編6 大学の中国人

 
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こんにちは、WEBメディア エヴァンジェリストの押切孝雄です。

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Photo by madiko83 CC

本日はカティサーク起業前ストーリーの上海編です。

上海で出会った中国人について書いてまいります。

上海演劇大学は、俳優志望の学生が在学しているためか美男美女が多かったです。
よく学内で撮影もしていました。

大学の寮のルームメイトは、台湾人の李でした。
彼は「導演」という舞台などの演出を学ぶ学科に所属していました。

彼が演技を学ぶ教室を覗かせてもらったり、
舞台の発表を見に行ったりしました。

李の彼女はメディアなどでも活躍しており、
タイプでいうと、フジテレビの朝の「めざましテレビ」に出ている
アナウンサーのような快活な女性でした。

私の中国語に関しては、その女性に吹き込んでもらった中国語のテープを
何度も聞きながら中国語を練習したのが効果的でした。

当時の私は、夜2時くらいまで勉強して、朝5時に起きる、
でもなぜか日中もまったく眠くない、という生活でした。

東京で大学生をしていたときには、夜遅くまで起きていて、
朝寝坊するという自堕落な生活だったのですが(笑)

上海では何かパワーがみなぎる日々でした。
何か、体力がありすぎるのが不思議でした。

毎日が楽しいということもあったかもしれませんが、
今思うと、やはり20代前半が一番体力があるときなのかもしれません。

現在、私は30代半ばですが、こんな短時間睡眠では身体が持ちませんので(笑)

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首相が退陣した夜に

 
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こんにちは、WEBメディア エヴァンジェリストの押切孝雄です。

本日、鳩山首相が辞任しました。

そんななか、私の出身大学のOB会がありました。
法学部政治学科だからかもしれませんが、現職の国会議員も出席していました。

民主党の議員も出席していました。
そして、自民党の議員も同じ会場にいました。

民主党の議員も自民党の議員も、同窓だからか、
終始和やかな雰囲気で進みました。

クローズドな場での議員のスピーチはやっぱり面白いですね。

本日の鳩山首相の辞任をうけて、ちょっとした掛け合いでした。

出席していた自民党の議員は元内閣総理大臣でした。
現職だったころはひどくやつれて見えたのですが、
今日は、テレビで見るよりも若く感じました。

やはり首相は想像以上に激務なのだと思います。
人にいえないことなどもたくさんあるのでしょう。

私は、会も中程に差しかかったときに、元首相に近寄って行きました。
そして名刺交換をして、少し話しをさせていただきました。
最後に一緒に写真をとってもらいました。

政党は変っても、総理大臣が4人連続で1年程度で辞任していく現状は
何か違和感があります。

なぜそうなのか、私には答えがありません。

ただ、人には役割がありますので、私は政治家にはなりませんが、
企業家として、社会に対する役割を果たしていこうと思います。

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