こんばんは、WEBブランディングのカティサークの押切孝雄です。
本日は、休日的話題です。
休日的話題ですが、少し長いです、ご容赦ください (^_^;
昨日、仙台で講義をして、そのまま東京に帰って来ても良かったのですが、
山形に一泊してきました。
なぜなら、「モンテディオ山形のフルモデルチェンジ構想を考える会」があったからです。
サッカーを知っている人は知っている話なのですが、Jリーグサッカーで、
J2で2位になったモンテディオ山形が、今度J1に昇格します。
山形のサポーターにとって、とても喜ばしいニュースです。
( ↑ モンテディオ山形の会報「Rush」 )
その山形で、「フルモデルチェンジ構想」というプランがあり、その内容がドラスティックだったために、
モンテディオ山形のサポーターや山形に住んでいる人を中心に衝撃が走りました。
その内容をかい摘んでみると、
チームの名称を「モンテディオ山形」から「月山山形」にする
チームカラーを「ブルー」から「白、黒、シルバー」にする
デザインを三角の市松模様とする、などの提案があったということです。
これらのことは、モンテディオ山形の運営側が正式に公表する前に、
一部のマスコミがスクープしたこともあり、憶測が広がりました。
そこで、中立的な立場でモンテディオ山形のフルモデルチェンジ構想を考える任意の団体を有志が設立し、
本日、フルモデルチェンジ構想を発案した中山ダイスケさんをおよびして、
プレゼンテーションを行なっていただいたというものです。
私は、とても関心がありましたので、その真意を確かめるべく、足を運びました。
山形市の遊学館にて14:00から16:20で終了の予定でしたが、議論はつきず17:00まで延長するなど、白熱しました。
中山ダイスケさんのプレゼンが終わってから、質問の時間があったのですが、
参加者側からは、賛成と反対の立場が真っ向から分かれる結果となりました。
モンテディオ山形の名称と、チームカラーのブルーは絶対に変えてほしくないサポーターからは、
完全なる反対の声があがりました。
10年以上慣れ親しんだ、自分たちのチームを変えてほしくないということを強い言葉で発言をする人までいました。
また、逆に少なからずフルモデルチェンジ構想に賛意を示す方もいました。
中立的な立場の人もいました。私も中立的な立場です。
ここからは私見ですが、モンテディオ山形は、これから100年以上続くチームだと思っています。
長期的な見地から考えると、山形のチームは、山形オリジナルのチームであってほしいものです。
モンテディオとは、イタリア語で「山の神様」という意味だそうですが、なぜ、イタリア語なのか。
そろそろ、自分たちの言葉で自分たちのチームを語っても良い時期にきているのではないかと思います。
日本は、古くは中国から漢字を学び、ひらかなとカタカナを日本流にアレンジしました。
明治維新では、西欧から近代化を学び、日本流にアレンジしていきました。
はじめは、学びのステージが必ずあります。
そして、その後は、日本流にアレンジするというのが日本の成功パターンであり、伝統スタイルです。
Jリーグは、イタリアなどの海外の仕組みを倣って、つくられました。
この時点では、学びのステージですので、「モンテディオ山形」でいいのです。
その後、日本のサッカーは、ワールドカップにも複数回出場することで、成長・成熟へ向かっています。
ここからは、世界の中の山形ということを意識してよいステージに入ってきていると認識しています。
その時には、風土に根ざした強烈なアイデンティティを見せてほしいと思います。
その意味では、中山ダイスケさんのプレゼンは、その点を本当に良く捉えており、素晴らしいものだったと思います。
1つのセンセーショナルなアイデアが、地域の住民を巻き込み、多くの議論を積み重ねて、
何かが変わっていくということ。
私は、ドイツのカッセルという街で数年に1度だけ開かれる「ドクメンタ」というアートのイベントを想起しました。
ドクメンタでも、議論を醸しだすアート作品などを通して、そこに集う人々が、議論し、
静かに社会が動いていくということがあるからです。
大きな意味では、フルモデルチェンジ構想は、現代美術家中山ダイスケさんの作品と言ってもいいでしょう。
私は、私を含め、山形に縁のある人々が、フルモデルチェンジ構想を機会にして、地元のチームの事を考え、
良い意味でイタリアからの借り物を脱皮し、100年続くチームを自分たちの力で創り上げる良い時期にあると認識しています。