こんにちは、カティサークの押切孝雄です。
9月に入ってしばらくたちましたが、本日は「日本の8月に振り返る祖先のこと」の3回目(最終回)です。
70年以上前のこと、志願兵で5年の任期を終えて、
日本に帰ってきていた祖母の兄の元に、召集令状が届きます。
再び戦場へ出征することになったのですが、
ここから先は、詳しいことはわかりません。
1つだけ明らかなことは、公式文書の下記の一文です。
祖母の兄が「昭和拾九年拾壱月三拾日時刻不詳ペリリニー島二於テ戦死」とあります。
「昭和19年11月30日にペリリュー島で戦死した」ということですね。
はじめからペリリュー島に従軍したのか、
戦地を転戦していて最終的にペリリュー島に至ったのか定かではありません。
ただ、「ペリリニー島」という聞き慣れない文字があったのですが、
2015年に天皇陛下がペリリュー島へ慰問したことでペリリュー島が全国的にも広く知られることとなった島だとピンときました。
「ペリリュー島の戦い」とはどんな戦いだったのだろうと、調べました。
NHKスペシャルの映像が、YouTubeに上がっていますので、下記に貼り付けます。
激戦の島だったようですね。
公式の記録では、ペリリュー島の戦いは、昭和19年11月25日に幕を閉じているようです。
祖母の兄が、11月30日に誰かに看取られて戦死したかどうかはわかりません。
計算をすると、32歳で亡くなったことになります。
その前に志願兵だった5年がありますから、20代の半ばから従軍していたのでしょう。
もし、生き抜いていたら何をやりたかったでしょうか。
ご冥福をお祈りいたします。
やはり、今、生きているということを考えると、
生きているだけで丸儲けですね。
先人たちの無念も鑑みて、
強くしなやかに生きていきたいと思います。
参考のため、ペリリュー島の当時の様子がわかるリンクを下記に貼っておきます。