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日本の8月に振り返る祖先のこと2

2016年09月02日

こんにちは、カティサークの押切孝雄です。

9月に入りましたが、本日は「日本の8月に振り返る祖先のこと」の2回目です。

70年以上前の戦時中の話です。
祖母の兄が、志願兵として、海軍に所属していたことを知ります。
航空機の整備兵だったとのこと。

トラック島(現在のチョーク諸島)にも従軍していたそうです。

truck_islands

この機会にトラック島について調べてみたのですが、
トラック島は、ミクロネシアの一部で、グアム島の南東に位置する島ですね。

現在なら飛行機で行けますが、当時は船ですから1週間くらいかかったのかもしれません。

海軍の整備兵ということは、零戦を整備していたのでしょうか。
(おもわず、映画『永遠のゼロ』のシーンを思い浮かべます。)

祖母の兄は、ここで戦争を体験します。

そして帰国します。
志願兵の任期が5年だったので、任期を全うして帰ってきたものと思われます。

どのような想いで祖国の地を再び踏みしめたのでしょうか。
万感の想いが去来したに違いありません。

帰国の際に、祖母におみやげを買ってきてくれたそうです。

それが、紅花色のハンドバッグ。

最近はあまり見かけることはありませんが、
昔よくあった、がま口型の財布というとイメージできる人も少なくないと思います。

あの、がま口型の財布を大きくしたようなハンドバッグだったようです。

私は、このハンドバッグを見た記憶はないのですが、
母の話によると、祖母は大事なものを入れて持っていて(しまっていて)、
少なくとも戦後半世紀、50年間くらいは持っていたそうです。

そして、一時帰国をして待機していた祖母の兄の元に、一通の召集令状が届きます。

その行き先が「ペリリュー島」だったのですが、
この話の続きは、またの機会にいたします。